東根市神町にあった駄菓子屋の話は以前もブログで上げていましたが、また書きます。重複失礼です。
というのも、2019年11月8日、かど店のご主人がお亡くなりになったのです。
いつも情報交換をしているレトロ先輩さんから連絡を頂いた時には「はあ? 誰でしたっけその人」と思ったのですが、はっ!としてガクッとしました。いえ、かど店ご主人とは知り合いでもありませんで、こっちが勝手に子供の頃お世話になったので一方的に知っているだけなのですが。言ってみれば、アイドルのような存在でした。
かど店はもうかなり前に店をたたんでしまい、今は何か店してたっぽいな?という建物になっています。
2019年撮影
昭和60年頃まで駄菓子屋オンリーでしたが、その後は店の半分をクリーニングの中継ぎ店として営業していました。その後、平成10年頃はクリーニング店だけになっていたと思います。平成24年頃にはクリーニングの看板もおろしてしましました。
かど店のご主人は、そう、昭和55年頃で結構な年だったと思っていましたが、その頃で56歳ぐらい。考えてみると、いつもはご主人の妻、所謂おばちゃんが店に出ていて、日曜とか夕方遅くに行くとおじちゃん(ご主人)がいたような気もします。おじちゃんは仕事の合間、店にいたということなのかもしれませんね。確かに100円程度しか持ってこないガキ相手に、商売が成り立つとは思えません。テレビゲームもさか店にはありましたが、かど店にはなかったような… いや、後の後から一台あったかな? 私は中学に上がるタイミングで神町を離れたので、ちょっと記憶が曖昧ですすいません。ゲーム機だと客単価が上がってそれなりに稼げるでしょうけど、どうだったんでしょうか、あの時代。
かど店のご主人は僕ら鼻垂れ小僧にも真摯に向き合ってくれる真面目な感じの人でした。小学生のくだらない質問にも言葉を選んで腕組みして話ししてくれる、そんな感じの人でしたね。爆竹を店の前で派手に鳴らしても、クラッカーをばら撒いて車に轢かせても、水風船を大量に作って投げ合いをしても、一度も怒られた記憶がありません。今なら速攻で出入り禁止でしょうけど、おおらかな時代でしたよね。
この水道の蛇口で水風船を作ったのですよ。左の土地は今では更地ですが、昔はきちんと家があって、その家の人からも怒られた記憶はありません。
色々な思い出のあるかど店、ご主人が亡くなってしまったことで今後取り壊しになるかもしれません。昭和の建物がなくなってしまった神町にとって、子供の時代を思い出せる建物でしたので、無くなってしまうと悲しいですね。
大した儲けもないのに、僕たちガキどもの相手をしてくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
さて、もう一つの駄菓子屋「さか店」ですが
2013年撮影
2018年撮影 (あまり変わりませんねw)
2019年撮影
そう、遂に取り壊され、更地に。
こうなるだろうとは思っていましたが、無くなると悲しいですねー
さか店のご夫婦はもう何年も前に退去されていたようでしたので、ホント時間の問題でした。
さか店はややギャンブルチックな、所謂くじ引き物が多く、人気のあるくじ引きおもちゃが入荷すると人だかりになってました。一番思い出があるのが鉄砲です。オレンジ色の一センチぐらいの弾を銃口から押し込んで飛ばす、今考えると下らないおもちゃですが、あの当時は熱狂したものです。30円だったかでくじ引きをすると鉄砲本体が運良く当たり、ハズレは弾が5発とか。家の中の小銭を無断でかき集め、クジにつぎ込んだものです。
カステラ。これが大好きで、先端が赤いとアタリのパターンと、10円でくじを引き、アタリは大きなカステラドーナツ、ハズレは串が1本とか。賞味期限なんかどうなっていたのか。
周期的にクラス内で流行る飛行機。一日で壊れた。
アタリだと仁丹のような物がたくさん入ったビール瓶。ハズレはビニールに少しだけ入ってるもの。
何個入れだったか忘れたけど、口の中の水分が奪われるモナカ菓子。
これは今でも売ってるヨーグルト(みたいだけど全く違う半練りのなんか)
10円で買える食い物なんて、中身が何でできているか訳わかんないものでしたよね。
ソーダなど、インチキジュースの素。真面目に水で作ると薄くて飲めたものじゃなかったので、もっぱら口の中に直接投入してました。
昔はこんなに種類はなく、青りんごとイチゴぐらいだったけど、20円で12個ぐらいだったので長持ちするお菓子としてよく買ってました。
お腹が空くとベビースター。ブタメンを見るようになったのは小学校高学年でした。それまではベビースター20円のお世話になりました。旨かったなあ。
当時、オレンジシガレットは見たことなかったです。ココアシガレットオンリーでした。まあ、値段も高くてあまり買いませんでしたが、大人の真似事をしたくなる時買った記憶がありますw オイシくはなかった。
ボリューム重視、爆弾菓子。作る方も、いかに原価を安く、ボリュームを出すか。かなり苦労したんだろうと思います。
さか店にはやや高いおもちゃも少し売ってましたね。中でもこれ、くるくるテレビ。中にフィルムが入っていて、ショートムービーが見られるというもの。フィルム交換可能で、その当時10種類ほど売っていたと思う。あの当時で2000円ぐらいだったか。欲しかったからいつも棚の上にあったそれを眺めていたものです。
さか店は昭和57年頃からテレビゲームが置いてあって、ムーンクレスタをやった記憶があります。あの一号機から三号機まで合体するやつです。50円だったような。一日の小遣いが貰えて100円だったので、オヤツを取るか銀玉鉄砲を取るか、それとも既に持っている銀玉鉄砲の弾を補充するか、ゲームをするか。色々やりくりしていたのが昨日のことのように思い出されます。
さて、そんなことで思い出深い駄菓子屋、いや、10円店も完全に無くなってしまったワケですが、考えてみると小学校を卒業してはや40年近くの月日が経ったのですから、当然世間は変わっていくわけですね。同級生などと再会して飲んだりすると10円店で盛り上がったりして、みんなの心の中にはやはり思い出として残っているんだなって思います。それでいいのだ。
というのも、2019年11月8日、かど店のご主人がお亡くなりになったのです。
いつも情報交換をしているレトロ先輩さんから連絡を頂いた時には「はあ? 誰でしたっけその人」と思ったのですが、はっ!としてガクッとしました。いえ、かど店ご主人とは知り合いでもありませんで、こっちが勝手に子供の頃お世話になったので一方的に知っているだけなのですが。言ってみれば、アイドルのような存在でした。
かど店はもうかなり前に店をたたんでしまい、今は何か店してたっぽいな?という建物になっています。
2019年撮影
昭和60年頃まで駄菓子屋オンリーでしたが、その後は店の半分をクリーニングの中継ぎ店として営業していました。その後、平成10年頃はクリーニング店だけになっていたと思います。平成24年頃にはクリーニングの看板もおろしてしましました。
かど店のご主人は、そう、昭和55年頃で結構な年だったと思っていましたが、その頃で56歳ぐらい。考えてみると、いつもはご主人の妻、所謂おばちゃんが店に出ていて、日曜とか夕方遅くに行くとおじちゃん(ご主人)がいたような気もします。おじちゃんは仕事の合間、店にいたということなのかもしれませんね。確かに100円程度しか持ってこないガキ相手に、商売が成り立つとは思えません。テレビゲームもさか店にはありましたが、かど店にはなかったような… いや、後の後から一台あったかな? 私は中学に上がるタイミングで神町を離れたので、ちょっと記憶が曖昧ですすいません。ゲーム機だと客単価が上がってそれなりに稼げるでしょうけど、どうだったんでしょうか、あの時代。
かど店のご主人は僕ら鼻垂れ小僧にも真摯に向き合ってくれる真面目な感じの人でした。小学生のくだらない質問にも言葉を選んで腕組みして話ししてくれる、そんな感じの人でしたね。爆竹を店の前で派手に鳴らしても、クラッカーをばら撒いて車に轢かせても、水風船を大量に作って投げ合いをしても、一度も怒られた記憶がありません。今なら速攻で出入り禁止でしょうけど、おおらかな時代でしたよね。
この水道の蛇口で水風船を作ったのですよ。左の土地は今では更地ですが、昔はきちんと家があって、その家の人からも怒られた記憶はありません。
色々な思い出のあるかど店、ご主人が亡くなってしまったことで今後取り壊しになるかもしれません。昭和の建物がなくなってしまった神町にとって、子供の時代を思い出せる建物でしたので、無くなってしまうと悲しいですね。
大した儲けもないのに、僕たちガキどもの相手をしてくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
さて、もう一つの駄菓子屋「さか店」ですが
2013年撮影
2018年撮影 (あまり変わりませんねw)
2019年撮影
そう、遂に取り壊され、更地に。
こうなるだろうとは思っていましたが、無くなると悲しいですねー
さか店のご夫婦はもう何年も前に退去されていたようでしたので、ホント時間の問題でした。
さか店はややギャンブルチックな、所謂くじ引き物が多く、人気のあるくじ引きおもちゃが入荷すると人だかりになってました。一番思い出があるのが鉄砲です。オレンジ色の一センチぐらいの弾を銃口から押し込んで飛ばす、今考えると下らないおもちゃですが、あの当時は熱狂したものです。30円だったかでくじ引きをすると鉄砲本体が運良く当たり、ハズレは弾が5発とか。家の中の小銭を無断でかき集め、クジにつぎ込んだものです。
カステラ。これが大好きで、先端が赤いとアタリのパターンと、10円でくじを引き、アタリは大きなカステラドーナツ、ハズレは串が1本とか。賞味期限なんかどうなっていたのか。
周期的にクラス内で流行る飛行機。一日で壊れた。
アタリだと仁丹のような物がたくさん入ったビール瓶。ハズレはビニールに少しだけ入ってるもの。
何個入れだったか忘れたけど、口の中の水分が奪われるモナカ菓子。
これは今でも売ってるヨーグルト(みたいだけど全く違う半練りのなんか)
10円で買える食い物なんて、中身が何でできているか訳わかんないものでしたよね。
ソーダなど、インチキジュースの素。真面目に水で作ると薄くて飲めたものじゃなかったので、もっぱら口の中に直接投入してました。
昔はこんなに種類はなく、青りんごとイチゴぐらいだったけど、20円で12個ぐらいだったので長持ちするお菓子としてよく買ってました。
お腹が空くとベビースター。ブタメンを見るようになったのは小学校高学年でした。それまではベビースター20円のお世話になりました。旨かったなあ。
当時、オレンジシガレットは見たことなかったです。ココアシガレットオンリーでした。まあ、値段も高くてあまり買いませんでしたが、大人の真似事をしたくなる時買った記憶がありますw オイシくはなかった。
ボリューム重視、爆弾菓子。作る方も、いかに原価を安く、ボリュームを出すか。かなり苦労したんだろうと思います。
さか店にはやや高いおもちゃも少し売ってましたね。中でもこれ、くるくるテレビ。中にフィルムが入っていて、ショートムービーが見られるというもの。フィルム交換可能で、その当時10種類ほど売っていたと思う。あの当時で2000円ぐらいだったか。欲しかったからいつも棚の上にあったそれを眺めていたものです。
さか店は昭和57年頃からテレビゲームが置いてあって、ムーンクレスタをやった記憶があります。あの一号機から三号機まで合体するやつです。50円だったような。一日の小遣いが貰えて100円だったので、オヤツを取るか銀玉鉄砲を取るか、それとも既に持っている銀玉鉄砲の弾を補充するか、ゲームをするか。色々やりくりしていたのが昨日のことのように思い出されます。
さて、そんなことで思い出深い駄菓子屋、いや、10円店も完全に無くなってしまったワケですが、考えてみると小学校を卒業してはや40年近くの月日が経ったのですから、当然世間は変わっていくわけですね。同級生などと再会して飲んだりすると10円店で盛り上がったりして、みんなの心の中にはやはり思い出として残っているんだなって思います。それでいいのだ。
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