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東北は山形の見歩き・食べ歩き・風景写真を掲載します。脱線話も!!
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今日は天気予報が完璧に外れた。雨の予報が、快晴になった。
雨では出来ない仕事を本日はずしていた為、ちょっと悔しい。

しょうがない。さぁ、お昼だ。ラジオを聞こう。と午後1時にTurnOn 918。
松下香織さんの木曜ハッピーロードが面白いのです。毎週聞くようにしております。
あれ?
なんと、今日は高校野球山形県予選決勝戦だったのですね。と、いうことは毎週楽しみのしているハッピーロードはナシですか・・・。オタク系女子アナ(?)の松下香織さんは第2のドンキー佐藤と言っても過言ではないっ!!と個人的に思っていて、年代も一緒と言うこともあり大変面白い。Saturday Radio Heaven ~土曜は一緒に・・・のパーソナリティーとしての松下香織さんも・・とても同一人物とは思えないけど、そのギャップも楽しいのです。
結局、羽黒対日大山形の決勝戦は日大山形が6対4で甲子園へ。いやはや青春です。

 しかし、世間は夏休みなのですねぇ。なんか、夏休みっていうと・・・高校の夏休みが蘇ってくる。
「最近、あちこち痛くてさ、年だなぁ。そういえばこの前、胃カメラ呑んできたよ・・・」なんて、言っている自分が嘘のような若い夏の日のエイティーンズ。

 高校の時、僕は「応援団」に所属していた。よって、高校野球とは密接な関係であった。野球部の丸刈りボウズは三年間の成果を夏の高校野球にぶつけるワケだが、応援団も同様に夏の高校野球に全力をぶつける。それは今思い出すにもおぞましい激しさだ。旧制中学校から続く歴史のあるバンカラ系応援団。僕の時でもすでに67代。色々決まりが厳しかった。まず、炎天下の中、学ランである。夏なのに冬服という、衣替えって何?的な世界だった。本番の応援時に学ランを着ても暑さで倒れないように応援団員は一年中冬服。学ランを脱ぐことを許されなかった。脱いでいるところを見つかると「鉄拳制裁」が待っている。真夏の学校内で黒いのがいたらそれは応援団員。とにかく目立つし、うっとうしい。現に僕は夏休みの補習授業開始早々「おまえ黒くて、うっとしい!!出てけ。」と先生に言われ、教室から締め出されたことがある。
 日常がこんななので練習は期待通り壮絶だった。放課後は部室へダッシュ。掃除はしたことがない。先輩より早く部室に行かないと制裁。その後、裏山での練習。3時50分頃から6時ぐらいまで。その後、部室へ戻り体力作りと称するイビリ。それが8時頃まで。帰宅は毎日9時頃だった。いや、9時なら嬉しかった。もっと遅くなることもしばしばで、勉強なんかしたことねぇ。と言うか出来なかった。自転車通学で往復2時間かかっていたのである。水曜日ぐらいになると真っ黒な学ランの表面には塩が噴き出し白くなった。
 夏が近づくと練習は厳しさを増し、ヤクザのようなOB共が毎日のように来た。そして御指導を頂戴するのだが、それも又「この野郎、殺す・・・」と心の中で思わずにはいられないような御指導である。例えば①「1時間腕立て伏せ」 まぁ、字のごとくその通り1時間ゴキブリのようにずっと伏せてかけ声をカケながら腕立て。②「チョン靴マラソン」 先っちょが尖った革靴が応援団指定の靴であり、その革靴と学ランのうっとうしい姿のまま4Km山コースをマラソン。ケツからはOBの車が団員を轢く勢いで煽る。ある時、1年の団員が痙攣を起こした(笑) ③「空気いす。腕に本当の椅子を乗っけて」 こんな名前じゃなかったがやることはこの通り。今思うとOBはシャレのセンスが良かった。伸ばした腕にパイプ椅子3個乗っけたぐらいにして。④「火の腹筋」 床に固形燃料を置き火を付ける。その上で腹筋。上半身を50°ぐらいにして停止させる。根性無く床に体が落ちてくると火が背中を焦がす。
その他書ききれないほどのメニューがあったが、思い出すと良く体がもったモンだと思う。

 途中なのですが本日は疲れたのでココまでです(^^;)

何はともあれ、日大山形ナイン、甲子園でも頑張ってください。

応援団の事はそのうち又書こうと思います。
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こんなラーメンで「どこが上海?」って感じ。 
高校の頃、1年生の頃から日曜日はバイトをしておりました。土曜日は今と違い必ず学校がありましたからバイトは出来ませんでした。あのころ土曜日も休みであれば、バイトをしていたことでしょう。
高校生のバイトともなれば苦い思い出の一つや二つはありますよね・・・

Blackセバ様のブログで、山形の「五十番飯店」の記事を見て色々考えていて、「上海厨房」が姉妹店で、繁盛しているらしいなぁと思ったところに私の「記憶」がよみがえりました。キーワードは「上海」。

 高校の頃バイトしていた店の名前が「上海」。長崎屋天童店の4階にありました。 今思えばバイト仲間がみんな友達で、ワイワイバイトしていたことを思い出して懐かしんでおりました(脳味噌の中で)。 そこで起きた事件は数多くあり、今思い出してもちょっと一人でニヤニヤしてしまう。

その中で「上海」と言うキーワードでの思い出。

ホール担当の私はお客様が来店するとお冷やを持ってテーブルへ。
「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりになりましたらお声を掛けてください。」  大抵のお客さんはメニューを見て簡単なものを注文する。だって、長崎屋に買い物に来てちょうどおなかが空いただけなんだもん。食うものなんか何でもいいんだもん!!って感じ。

一昔前は出店しているお店にご飯を食べに来るのが楽しみで、それから買い物をするというスタイルだったらしく、出店している食堂で客足が変わったというけれど、(参考著書 ビッグ錠 包丁人味平) 20年前はすでにそんなスタイルはなくなっていた。

そんなことで、注文は普通のラーメンが多く、その次が焼きそば。これはあんかけ焼きそばで麺が固く焼いてありあんかけが絶妙な食感を醸し出す味わい深い焼きそばだった。何回か来ているお客さんは焼きそば率が高かったような感じがする。
一品料理が出ると珍しくて「出た出た!! 乾焼蝦仁(エビのチリソース)!!」(その当時で一皿1800円~2400円。ここの乾焼蝦仁はケチャップを使わない本当の乾焼蝦仁で大変旨かった。)などと盛り上がった。
その一番人気(?)な普通のラーメンは店名にちなんで「上海ラーメン」といった。 メニューにももちろんそのまま「上海ラーメン」と書いてある。そこで注文を取りに行くと
「上海(しゃんはい)ラーメン2つ!!」などとオーダーされるのだ。
しかし、お客様の中には漢字に弱い方も少なからずいらっしゃる。そんな方はこんなオーダーを私に投げかける。「上海(じょうかい)ラーメン!!ね。」

最初は笑いました。お客様の目の前で笑ったことは、まぁ ありませんが。お客様の前で自分の顔の筋肉が震えるのがわかります。もちろんオーダーをもう一度口にして確認などしません。お客様に失礼ですから!!

しかし、ただの一回お客様の前で肩を震わし笑った事がありました。ここからがちょっと苦い思い出です。

いつものようにオーダーを取りにお客様の所へ。「お決まりですか?」 

「え~と、これ。かいじょうラーメンね。」

 「ん?? かいじょう??・・・」

10秒考えた後、「ひっくり返したか・・・」と事態を理解した私は、ついにこらえきれず・・・。這々の体で厨房に戻りました。
「じょうかい」ラーメンの免疫はもうばっちりの私でも、ひっくり返されては太刀打ち出来ません。お客様は帰りはしませんでしたが、不快な思いをしただろうと思います。
いやはや、すいません。申し訳ありません。時間を超えて謝ります。
でも、ひっくり返したあなたも悪いし。

上海厨房を「じょうかい・ちゅうぼう」と言う人はいませんよね!! 

一寸亭を「いっすんてい」という人もここにはいませんよね・・・・
 
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