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東北は山形の見歩き・食べ歩き・風景写真を掲載します。脱線話も!!
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上山市菖蒲萱平は、古屋敷村からさらに山に入った地区です。

建築物は崩壊程度が非道い状態。

「大自然の崩れた家」 って感じですが記録しておきます。

下記は2007年6月の萱平地区の写真です。
崩れてます。

何か木が捨てられてるかな、って感じ

崩壊。

不法投棄があったかな。って感じです。

「山交の廃バス」 状態は悪くない。荷物置き場でもない。人が住んでいる様子もない。
夜見ると・・・満席。って上山の怪談にあるらしい。

鯉の養殖場。細い道の両端に沼が沢山。踏み外したらサヨウナラ
命がけに近い。
近くには鯉の業者さんがチラホラ。鯉を盗んだら・・・コロされて鯉のエサだよ(^^;)

うわ。30㎝はあるヤマメが普通に・・・
養殖じゃなく天然。

最初から土で出来た蔵は丈夫だ。
この季節、近くまで行くには相当の勇気が必要。

さすが落ち武者伝説の里。と言う感じでした。


萱平地区は住んでいる方もいますが2~3軒ほどのようです。しかし、夏は涼しく過ごしやすいでしょうが、冬場は大変だろうことは容易に想像できる。大体こういった地区の過疎原因は雪なのではないだろうか。この辺も積雪1㍍はあるだろうし、雪が降ったから仕事休みって訳にもいかないだろうし。
早い話、徐々にこうやって地区はなくなるのですね。
なお、次は山元地区のさらに上、狸森に行ってみたいと思っております。(終)





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初めまして by もり
小学生の頃を思い出し、コメントしました
父が上山牧野の出身で、昭和50年代始めの萱平(萱滝)へよく遊びに行きました。(鯉やマスの釣り堀もあった) あの頃は観光客も多く、山交バスの終点でもありました…
結構たくさんの人達がいましたよ。
確か 萱平は花屋さんという名字が多いです(父から聞きました)
父はこの地区の本校(東小学校)出身でしたが、萱平地区の友人は冬場、古屋敷分校(廃校?)へ通ってたので、この地区の友達とは逢えなかったと聞きました
いまでも萱平に人が住んでるのですね また父と昔話で盛り上がれます(笑)
2008/01/23(Wed)06:57:18 EDIT TOP▲
はじめまして。 by babydriver
コメントありがとうございます。こんなマイナーな記事を読んでくれている人がいたかと思うと嬉しいです。

古屋敷分校は完全に廃校になっていて、材木の加工場になっていました。
しかし、萱平が山交バスの終点だったとはびっくり。昔は利用する方が多かったのでしょうねぇ。今では全く考えられません。
そういえば、古屋敷村から萱平に行く途中に、イワナの塩焼きを売っているようなお店が営業中でした。そこが昔の釣り堀跡かもしれません。
萱平や古屋敷村に住んでいた人は須田板とかに移住しているようですね。確かに花屋さんが多いです。蕎麦で有名な『原口そば』も花屋さんだったと思います。
阿部鯉屋さんの養鯉場がある内は道も無くならないと思います。是非行ってみてください。僕も温かくなったら途中のイワナ屋に行ってみようと思っています。そしたら又レポートしたいと思います。
2008/01/23(Wed)12:58:39 EDIT TOP▲
是非上山東地区の調査お願いします(笑) by もり
上山市もこの田舎、もっと売り込めばいいのに…
子供の頃、バスの基本は菖蒲止まり、何便かに古屋敷行と萱平行がありました。萱平行バスの行先表示板を見られると弟と喜んでましたよ…
原口そば 懐かしいです…昔は冷、温そば両方あり、メニューも鴨南蛮まであったのですが、最近はザルしかないらしいですね。(前は蕎麦10割だったのが、食べやすくするのに少し粉を減らしたらしい?) 子供心にスッゴいうまいという記憶が残ってます
ちなみに父は楢下のこんにゃく屋とも同級生で、一度連れてけ!と頼んでいますけどね。
もし機会があれば、萱平だけでなく古屋敷や泥部、金山なんかもどうなっているか、見てもらえませんか?(ワガママですみません)
古屋敷は映画撮影の頃(アノ頃、牧野公民館で上映したので見に行きました)や草ヒロ(分校の反対側に初代ファミリアがありました。もうあるわけないか)の状況。泥部は祖母の実家があったのですが、アノ村落の状況は…
金山村落は楢下に住む親戚に連れて行って貰おうとしたら、熊警報が農協の内線電話で伝えられ、断念したことからです(笑)
ちなみに、自分は神奈川在住(父は東京)で旧車とネコ(家ネコ9匹+2匹)が好きなんです…
木の上のネコ救出劇は感動しました(喜)

15年前に牧野へ行ったきりなんで、上山に今年こそ行きたい…
2008/01/23(Wed)20:33:49 EDIT TOP▲
もりさま by babydriver
泥部のレポートを以前のブログから抜粋してみました。
分校前の初代ファミリアを求めて、春になったらピクニックに行きたいと思います・・・
2008/01/23(Wed)21:56:54 EDIT TOP▲
父は古屋敷の出身です。 by 花屋 龍王
 懐かしいです。私は1952年生まれ、私の父は1902年(明治35年)そのまた父は孫右衛門と云う名前でした、生年は不詳その家を継いだのは確か”孫七”この次男は”保”と言いました。
 私が小学3年の時初めて(?もっと幼少のころここにに来たことがある、保君の左目にこぶし大の痣があったこと記憶にあったのです。)墓参りに来ました。保君は古屋敷分校にかよっいぇいたようです。分校の手前には 文具と駄菓子(当時は一銭店と言ってましたが)分校から100m萱平方向の右側に お墓がありました。花屋家と佐藤家だけと記憶しています。
 当時は茅葺の家(確か写真を撮りました。家の前だけ私が35歳の時古窯旅館に買い取られたとのことで業者の方が改装していたと思います。) 玄関を入ると広い土間があり左手には馬と牛がいました、右手は座敷で囲炉裏があり2階は蚕部屋でした。鴨居には槍もありました(父の話では冬委冬眠している熊を突きに行って半農養蚕狩猟を糧にしていたそうです炭焼、なめ茸さいばいみしていたようです。因みにこの時私の兄保君と萱平滝の周りで飛び込んだり泳ぎ押しました。家の前には小川がありそこで洗面と歯磨きをし山形市にいた私がちょっと抵抗があったのをおばあちゃんが”3尺流れれば浄水(きのみず)”といったのを思い出します。懐かしい。花屋と古屋敷で検索していました。古屋敷は源氏の落ゅんど 私の母は(大正元年生)”平清水”平家の落ゅんど出身でした。懐かしい!私は現在埼玉です。ありがとうございます。このブログ
2020/04/02(Thu)17:43:30 EDIT TOP▲
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